「やるべきこと」というのは、何かしらの前提の下で誰かが必ずそれをやり遂げなければならないことのことを指して言う言葉です。前提が変わらない限り、それは「やらない」という選択はありえません。「やらない」という選択がありえないからこその「やるべきこと」です。
言葉遊びだけれども、この認識が重要です。
不安は悪いものではありません。不安は慎重さや謙虚さにつながり、不安に思って前提ややり方を見直すことで「やるべきこと」自体を考慮したり、やるべきことの作業効率をあげたりできます。
ですが「自分が本当にやり遂げられるか」の不安には価値がありません。その不安の解消は「それをやるのを止めて良いという承認」「それをやり遂げたという事実」のどちらかでしか解消されません。良く検討された上で「やるべき」とされたことならば「それをやるのを止めて良いという承認」が降りるはずありません。よって、「自分が本当にやり遂げられるか」の不安には「それをやり遂げたという事実」を積むしかありません。
今の現実を良く進める手助けをかけらもしない「不安」は必要ありません。
「やるべきこと」が理不尽に与えられたのではない限りは、あなたはそれをやるべきであると同意したはずです。同意したならばやらない選択肢はありません。もちろん、やらなくてもよいですがその場合はやるべきであると判断した前提を否定することになります。それによる不利益は粛々と受け取るべきです。
選択肢は「効率よくやり遂げるか」「非効率にやり遂げるか」の二択です。「やり遂げられないときはどうするんですか?」への答えは「どうしようもないので、不利益を受けとるしかない」です。やるべきであると判断した前提が崩れることによる不利益を受け取りたくない、かつ、やるべきことをやらない(一部やらない)ことを許してほしいという都合の良い話はありません。
友達、恋人や家族には「やるべきことを自分が本当にやり遂げられるか不安なんだ」と甘えてよいでしょう。でも、指導教員とか先輩は赤の他人ですから、甘えられても困ります。とはいえ、不安を覚えないのは我々の精神力では無理ですから、抑え込むか注意をそらすべきです。
「頭を動かすな、手を動かせ」が基本です。この原則で1週間~1ヶ月ぐらいは「自分が本当にやり遂げられるか」の不安について注意をそらせることができます。作業自体が明確でなく、作業終わりが明確でないと「~が終わるまでは考えるな」という自分への説得が効きません。必ず、作業目的と作業終わりを明確にしましょう。明確にした後はいつもの手法で乗りきります。「ヴァァァーーーー」でも、「WRYYYYYYYYーーッ」でもお好きな方をどうぞ。
もし、「やるべきことを自分が本当にやり遂げられるかを不安」を抑え込むか注意をそらすことで不利益を被った場合はご一報ください。謝罪します。
また、このエントリーはブーメランエントリーです。「鏡を見ろ」とも言います。